両国シアターX(カイ)にドストエフスキーの『罪と罰』を観に行く。
Xの養成所に三年通ったミキの卒業公演だったからだ。 実は卒業公演は二部構成と云うか第1弾の夏目漱石『こころ』が一月前にあったばかりなのだがワシもムナポケの公演に出ていたので見過ごしていたのだ。 一緒に舞台に立ったときにはまだ中学生だったのにずいぶん育ったもんだ。
…なんだが、実はこんな機会でもないとロシヤ文学の芝居なんて、しかも延べ七時間もあるヤツなんて絶ッ対観ねーと思ったからでもある。
シアターXはミキが養成所に入る以前から名前は知っていたが、実際に行くのは初めてだった。 劇場は両国駅から程近い国技館の反対側「シティコア」の中にある。
『罪と罰』は神を信じない心に罪の意識は芽生えるのかと云う物語。 洋物芝居では珍しいことではないが聖書の一説も読まれる一編である。 奇しくもギリシャ文字の「X(カイ)」はキリストを表す文字(XmasのX)だ。 客席は色々組み換えが利くようだが、ざっと200席ほどで小劇場芝居にはいいサイズだ。 昔の劇場や可動客席によくある欠点で席の前後が狭く爪先の行き場がないので座りにくかった。
俳優養成所と云うからみんな若いのかと思っていたが20歳になったばかりのミキが最年少で上は60である。 みんな結構いい歳でスタニスラフスキー・システムの勉強をしているんだな。
芝居12年もやっててスタニなんたらのかんたるかも知らないので辞書で引く。「スタニスラフスキーが創造した近代俳優術。俳優の身体的な訓練と舞台での役づくりという肉体・精神両面の関係を認識把握させることを通して、役と同一化、内面からの表現を目ざしたもの。」と書いてある。 ん〜〜。まぁ、やっぱりうろ覚えどおりのリアルなお芝居の作り方ですね。 でも帝政ロシア時代からソビエトに引き継がれたブツなんで、格式と文学性に対して役者に余計な表現を持ち込ませないためのロックなんじゃないかといぶかしんでみる。
果たしてロシア演劇との遭遇だが、実は以外にも寝なかった。 で、コントを見ているみたいだった。
コントみたいだったのは決して帝政ロシアを思わせるにはあまりにセットや衣装が物足りなかったからではない。 むしろコントならそこら辺記号化するか作りこむかきっちりハラくくる。 詳しく言うと「あ、『ガキの使い』とかでやってるダウンタウンのコントに似ている」と思った。 人が発する生理的なノイズや破綻を丹念に拾っていくことでリアリティを作り出していく技法がそっくりなのだ。
それにしてもロシア人の名前にはついていけない。 ミキは主人公ラスコーリニコフの妹、ドゥーニャ役なのだが、ロシア劇のお約束として公共の場ではフルネームに近い呼称をするそうな。・・・・&&%$$#%%$#########・・・・7時間観てついにミキのフルネームは覚えられなかった。
大体主人公の名前も配役表を見て「ラスコーリニコフ」と覚えているのに劇中で名前を聞かれて「ロジオンです」。。。いきなり偽名かよ!? そりゃァ犯罪者だし・・・と思ったら、ロジオン・なんとかかんとかウイッチ・ラスコーリニコフ・・・長いよ。やっぱり。 しかも劇中では家族は彼を「ロージャ」と呼び、それ以外は「ロジオン・なんとかかんとかウィッチ」である。 ロシアってやっぱり難儀や。。。。
…ってことは、マリア・シャラポアとか、イリーナ・スルツカヤとか、エメリヤーエンコ・ヒョードルにも、とてもついていけない本名が、、、、、。 で、ロシア語って苗字と名前どっちが先なの? ヒョードルは弟もエメリヤーエンコだから苗字が先かと思っていたんだが・・・。
舞台自体は7時間もある割りに説明台詞やストーリーの端折りが多いため次々と何故の嵐が来る。 人間関係を2時間ドラマのように推理しながら7時間タネ明かし無しである。
また、実は稽古時間が足りなかったのか7時間分の台詞を覚えることで精一杯だったのか、このあとの駄目出しがどうなっちゃうんだろうというトチリの多さだった。 ・・・このコ達ちゃんと卒業できるのだろうか?